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2010年11月18日木曜日

80年代後半のブリヂストン事例に見られるMAのジレンマ


80年代の世界のタイヤ業界。省燃費耐久性の「ラジアルタイヤ」を巡った競争と、多角化の見直しが起こり、ドッグイヤー、ミシュラン、ブリヂストンの上位3社とそれ以下という二極化が進んだ。ブリヂストンは6カ国に15工場という少ない生産設備であるために、ファイアストーンとの合弁設立を選択。 Wed Nov 17 16:51:21 +0000 2010 via HootSuite



当初のブリヂストンは販売がアジア・オセアニアに偏っており、欧米シェアは低いものであった。逆にドッグイヤーやミシュランがアジア市場への進出を目指すなかで、ブリヂストンがこれら2社に対抗していくためには、まだシェアが低い欧米市場に本格的に進出する必要性があった。 Wed Nov 17 16:52:55 +0000 2010 via HootSuite



ところが伊ピレリによる米国2位のファイアストーンTOBによって、ブリヂストンとのJV交渉はいったん打切り。ブリヂストンは対抗TOBに応じ、JV構想よりも3.5倍に膨れ上った26億ドルもの投資額によりMA完了。当初としてはソニーによるCBS買収20億ドルを上回る。 Wed Nov 17 16:57:59 +0000 2010 via HootSuite



TOB争奪戦の背後には、ブリヂストンの欧米生産拠点の確保阻止を目論むミシュランがいた。事実、ピレリはミシュランに対して、MA完了後にファイアストーンの直営販売店網とブラジルにおけるタイヤ事業を売却するとともに、多角化事業グループの売却オプションを表明していた。 Wed Nov 17 17:02:35 +0000 2010 via HootSuite



ピレリの50ドルに対してブリヂストンの80ドルでのビッドは、仮定計算で売上成長が10%で適性理論価格というあり得ない程高い数字。MAすれば株主損害、MAしなければ大手競合に駆逐される。ブリヂストンにとっては、進むも地獄、進まぬも地獄なジレンマだったに違いない。 Wed Nov 17 17:07:08 +0000 2010 via HootSuite



そういう気持ちが込められた80ドルという株価..泣けてくる。 因にブリヂストンの社名は創業者の名前が石橋という理由の他にも、起業する際、米国にファイアストーンという会社があるらしいという「憧れ」もこめられていたとの事。しかし残念ながら労働組合問題が起こりPMIで失敗している。 Wed Nov 17 17:19:37 +0000 2010 via HootSuite