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2013年3月20日水曜日

言葉の重み

直近の実務では、これから世に出る1つの金融商品を巡り部門を股がって連携するプロモーション業務をメインに行っている。去年出来たばかりの新チームで、新しいプロダクトで、新しい企画を追い求めて行く。社内の微妙なパワーバランスを調整する程の能力はまだないが、業界調査を通じてや新しいビジネス分野を見つけ出しビジネス化出来ないか模索し続けることで新しい発見を見出す自分と出会う。そうして4月からは新しくメンバーが増員されようとしている。新しいもの、新しいもの、新しいもの。。。刺激に感化され尖り続けるものを追い続けてきた1年間。

その気概でやってのけたのは幼い頃から「やれば絶対出来る」と唱えることで一歩を踏み出してきた自分がいたからだ。ところが、大人になった今は「自分には力が無かった」と認めることから一歩を踏み出そうとする自分がいる。自己過大評価と現実との乖離を認める苦しさと、悔しさ、不甲斐なさ。そこに成長ドライバーを見出しつつある自分の新たな面が見えて来た。誉められて育つはガキの成長。悔しくて頑張るのがオトナの成長なのである。それを踏まえて、今も自分を支え続けている"言葉"について触れたいと思い、更新率の悪いブログにしたためる事にした次第である。


例えば歳上の方から言われた言葉に、その時には実感として飲み込めなくても、ただ「覚えておいて良かった」と思う言葉がある。数年後になってから、「あぁなるほど、こういうことか」と理解する。まったくその通りで、悔しかったらその言葉に抗おうとするし、辛い時があったらその言葉に落ち着く自分がいる。

自分の場合は新入社員の時に飲み会で頂いた言葉。
「貴方が仕事で失敗してもそれは組織のせいだし、成功しても組織のお陰なんだよ。良い意味でも。悪い意味でもね。」
これは今の実務におけるふとした場面でも思い起こす言葉になっているし、今後のサラリーマン人生(バンカー人生?)においても色んな場面において思い出されるであろう。これは安直に会社に依存した生き方のすゝめを説いた言葉ではないのだから深いのだ。
勿論、中には「はいはい、時代がよかったんですね」としか思えない人の成功体験に基づく言葉を聞かされる事もある。当然気分が悪くなる。バブル期に若手だった相手と現代の若手をそのまま比較される訳なのだから。

ただし、それでも本気で自分のことを想ってくれている人の言葉は、どんなに厳しくても心に染みるものである。自身の発する言葉が自分の心に矛盾することなく伝わらせることが出来る人は、自分の手に在る幸せや成功を、心から祝福出来ているのではないかと思う。

それを『自信』というのだろう。


人は言葉によって情熱をロジックとして支えられられる動物なのだとつくづく思う次第である。

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